競泳ニッポンで今、最も充実しているのはこの男だろう。瀬戸大也(ANA)は7月、韓国の光州で開かれた世界選手権で個人メドレー2種目を制し、
東京五輪代表に決まった。
「何が何でも金メダル、という気持ちでやっていく」。幼い頃からとことん前向き。
高い目標に挑み続けたスイマーが、東京五輪に全てのエネルギーを注ぎ込む。


「イエーイ! 最高です!」
7月25日、世界選手権の男子200m個人メドレー決勝。最初の金メダルと五輪切符をつかんだ瀬戸はレース後、
報道陣の前に姿を見せるなり、右拳を掲げて少年のような表情で喜びの声をあげた。
本命種目の400m個人メドレーに比べると、下馬評は決して高くなかった。2016年リオデジャネイロ五輪では、代表権すら手にしていない。
だがライバルのチェース・ケイリシュ(米国)は明らかに不調だった。
「ライバルたちの中で自分の調子がいちばん良さそうだった。自己ベストを出せれば、金メダルもあるかな」。
こう思いながらスタート台に向かった。
最初のバタフライから抜け出して主導権を握ると、トップを渡さず、1分56秒14の自己ベストでゴールした。
レース後には「積極的に前半から行った。後半もびびらずに泳げた。最後はばてたが完璧だった」。
世界選手権の優勝タイムとしては平凡だったが、勝機を逃さなかった意味は大きい。勝負強さに自信を持つ瀬戸らしい戦いぶりだった。
「去年から頑張った成果でしょう。ごほうびだと思う」。


174cmの身長は、世界の競泳選手では小柄だ。身体能力も、トップスイマーの中では抜群に優れているというわけではない。
その瀬戸を支えてきたのが、強気でポジティブな精神面だ。梅原孝之コーチによれば、幼い頃から瀬戸は「とてつもなくでかいことを言っていた」。
水泳を始めた5歳の頃、スイミングスクールの会員誌に「五輪で金メダルを取る」と早くも書いていたという。
瀬戸の大きな目標だったのが、同学年の萩野公介だ。
小学校時代から学童記録を連発した無敵の怪童は、瀬戸にとって「雲の上の存在」だった。
全国大会では、大差で負けるレースばかり。「大きくなったら、一緒に世界で戦う仲間になる。いつかは勝ちたい」と果敢に挑み続けた。
出場2種目の制限がある全国中学大会では、優勝確実だったバタフライにエントリーせず、
萩野と戦うため、あえて個人メドレーを選んだこともあった。
13年、15年と世界選手権の400m個人メドレーを連覇。16年リオデジャネイロ五輪はライバルの萩野とともに出場を果たした。
金メダルに輝いた萩野に及ばず、銅メダルだった。


瀬戸は2017年、飛び込みの選手だった馬淵優佳さんと結婚した。
リオ五輪で金メダルを取れずに帰国した瀬戸は、交際していた優佳さんに「自信なくしたわ。ごめんね」と珍しく弱音を漏らした。
優佳さんから返ってきた言葉は「私、あなたの成績と付き合っているわけじゃないから」。落ち込みかけていた瀬戸にとって、大きな励みになった。
リオ五輪前には、「萩野とのワンツーフィニッシュ」という目標を語っていた。
しかし五輪が終わると、サポートスタッフの一人から、「『絶対に金メダル』と言っていなかったのは、
自分に逃げ道を作っていたんじゃないか」と疑問を投げかけられた。
今は「金メダルを目指す。そこだけにフォーカスしてやっている」と迷いなく言い切る。
体づくりにも細かくこだわるようになった。優佳さんに支えてもらいながら、消費するエネルギーを考え、栄養素をグラム単位で調整する。
練習、レースのスケジュールをもとに、食べるタイミングも分刻みで考えている。
リオ五輪で世界のトップスイマーから学んだのは、苦手なことから逃げないこと。
「このぐらいでいいか」と妥協する気持ちを捨て、「苦手を塗りつぶす」。
その先に五輪の金メダルがあると信じている。


五輪の金メダルに向けた第一関門と位置付けた今年の世界選手権は、
長期休養の萩野が不在の中で2冠に輝き、日本の大黒柱としての存在感も増した。
期待と注目を一身に背負う立場になったが、「とにかく自分のやるべきことに集中する」と、目指すところはぶれない。
いまはモチベーションも練習もエンジン全開。400m個人メドレーを8本続けて泳ぐような過酷なメニューを、懸命にこなしている。
「水泳をやめたくなるぐらいトレーニングを積めば、いい結果が待っていると思う」。
世界選手権で優勝したときもそうだったが、レースで好成績を収めると「ごほうび」という言葉を使い、勝利を手にした自分自身をねぎらう。
そうしたくなるような厳しい練習を続けている。
「ぼろぼろになるけど、気持ちは前向きに泳げている。自分の中で、覚悟はできているなと感じるし、楽しめている」。
来年夏の歓喜のゴールに向け、まっしぐらに突き進んでいる。
