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夢は 私を 離さない

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Akiyo Noguchi

sportsclimbing

感じ取り、選び取る

スポーツクライミング 野口啓代

「本当に夢みたいで、まだ信じられない。 あと1年、クライミングができることがすごくうれしい」
 万感の涙がにじみ、声を詰まらせた。2019年8月、東京都八王子市で行われた世界選手権。 日本女子の第一人者、30歳の野口啓代(TEAMau)は五輪種目の複合で銀メダルを獲得し、東京五輪の代表に決まった。 ここ数年は全てを懸けてきたと言っても過言ではない。心から待ち望んでいた切符だ。

新しく大きな目標

  4年に1度の舞台と野口の関わりは、2015年に始まる。スポーツクライミングの選手にとって、五輪はサイクルになかった大会だ。野口は14年、15年と得意のボルダリングでワールドカップ(W杯)年間総合優勝を果たした。 掲げていた目標のほとんどを達成し、年齢の近い選手も競技を退いていく。
  「今までと変わらないモチベーションでやっていくことがなかなか厳しいというか、 新しい目標が見つけられない時期だった」
  そんな時に舞い込んだのが、東京五輪での競技採用決定の知らせ。 「今までより大きな目標が見つかった」。スポーツクライミングのすべての選手にとって、初めての五輪となる東京大会。 ベテランの域に達していた野口だが、20年まで走り続ける決意をした。

木登り感覚から

©AFP/BARBARA GINDL

  スポーツクライミングに出合ったのは小学5年の時。家族旅行で訪れたグアムでのことだった。 偶然入ったゲームセンターで、人工壁を登るフリークライミングを父親の健司さんやきょうだいと一緒に体験。 その魅力に取りつかれた。
  実家は、茨城県龍ケ崎市で牧場を営んでいた。子どもの頃は「相当、おてんばだった」。 初めて体験したクライミングは「木を登っている感覚で楽しかった」という。 ユースの大会などで優勝を重ねると、健司さんが牧場の敷地内にあった牛舎を改装しプライベート・ジムを作ってくれた。 自宅での練習にコーチはおらず、“自分流”でひたすら壁を登り込んだ。

気持ち高める赤のネイル

©AFP/GUENTER SCHIFFMANN

 「ネイルはいつも赤。勝負カラーなんです」。野口はいつもそう語っている。 勝負の試合には真っ赤なネイルで、次々とコースを完登(※)していく。
 薄く、小さいホールドに指先を引っかけるだけで登る「カチホールド」「カチ持ち」と呼ばれる技術がある。 普段の暮らしではまず使わない動作で、鍛え方も難しい。 岩場で小さな突起に指をかけて登るトレーニングをすることもある。
 「マニキュア塗るとカチ持ちしたくなるのって、私だけ~???」。 かつてこんなツイートをしたことがある。メイクもファッションも好き。 素顔は普通の「おしゃれ女子」と変わりない。壁を登る時、指先はいつも自分の目に入ってくる。 勝負をかける試合で、気持ちをいちばん高めてくれるのが赤いネイルなのだ。 ※完登=決められた課題を登りきること

新たな挑戦

 W杯ボルダリングで4度の年間総合優勝など、国内外で圧倒的な実績を誇る。 シーズンオフにプライベートで海外に出かけた時も「帰国したら早くトレーニングしたいな」と、常に頭から離れない。
 そんな野口にとっても、東京五輪は全くの新しい挑戦だ。ボルダリングとリードの経験は豊富だが、 これら2種目にスピードを加えた3種目の「複合」を競う。壁を登る速さを競うスピードは、野口に限らず日本勢にとってなじみのない種目だった。 瞬発力が必要で、ホールドをしっかりと持って登るスタイルの野口にとっては「真逆の能力」が求められた。
 日本で練習できる場所は数えるほどしかない。そこで、またも健司さんが実家近くにスピード専用の壁を作ってくれた。 男子の一流選手にコーチを頼み、手や足の運び方を教わる。15メートルの壁を登るのに12秒以上かかっていたのを9秒台にまで短縮した。 「環境に恵まれた。サポートに感謝している」。夢の舞台を目指す自身を後押ししてくれる周囲の思いを、忘れたことはない。

声援も登る力に

 五輪では、優勝候補筆頭のヤンヤ・ガルンブレト(スロベニア)が最大の敵になる。 W杯ではリードとボルダリングでともに年間総合優勝の経験があり、世界選手権の複合でも2連覇を果たした。 野口は2019年のW杯ボルダリングでガルンブレトに敗れ、2位。 自分自身を「セカンドコレクター」と呼び、苦笑いするしかなかった。
 だが、8月の世界選手権の複合では勝機が見えた。ボルダリングでは、ホールドに膝を当てて登り切り1位に。 ガルンブレトが完登できなかったコースだった。
 クライミングは登りながら頭をフル回転させ、何かを感じ取り、選び取る。 登る前に考えた動きを、とっさに修正することもよくある。集中力やひらめきを実現する身体を、野口は追い求めている。 「ぎりぎりの瞬間が好き」。目の前のコースだけを見つめる。体の動きだけでなく、観客の声援まで感じながら、登る。
 「今シーズンで一番いい登りができた。この大会のことは一生忘れない」。集中力とひらめきを勝負どころで発揮できた大会が、8月の世界選手権だった。 「(五輪では)さらにいい色のメダルを取りたい」と誓う。
 国内の女子選手では断トツの存在だが、後輩からは「あきよちゃん」と慕われる。 けがの治療、練習方法、進学......。若手からさまざまな相談を受ける。早々に代表の座を射止めたことで、今は強化に専念している。 「全種目を上げないといけないけど、まだまだ伸びしろがある」。 日本女子の道を切り開いてきたクライマーは「現役最後の一日」を最高のフィナーレで飾るため、今日も壁に向き合っている。