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夢は 私を 離さない

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Shun Murakami

surging

まだ見ぬ波を求めて

サーフィン 村上舜

2019年、サーフィン世界選手権で各国の強豪と競い、4位に入賞した。
 アジア首位となり、2020年東京大会の出場権を条件付きながら獲得した。 村上舜、22歳。ニュースになるたび、”イケメン””天才肌”という枕詞がついてくる。 クールな顔立ちとは裏腹に、報道陣の前ではいつもおどけて笑いを取りに行く。その半面、 「陸での自分を知ってほしいと思わない」という言葉通り、あまり多くを語らず本音は見せない。 国内屈指の実力を持ちながら、「五輪だけが目標ではない」と答え続ける彼の鋭い目には何が映っているのか。

サーフィン漬けの日々

幼少期の村上

  神奈川県湯河原町で生まれ育ち、小学2年でサーフィンを始めた。
  地元のサーフショップ「WAV'Y」に通う父に付いて行くうちに、自分から「やりたい」と言い出したという。初めてサーフィンをした日。 板を押してもらい、すぐ立つことができた。水の上に立つ不思議な感覚を覚えた。
 その後はサーフィン漬けの生活。朝起きて海に出る。学校に行き、帰るとまた海に出て、寝床についた。 始めて2年ほど経った頃、WAV'Yが開催する大会に出た。 すぐに頭角を現し、他のショップの大会や地域の大会に出場しては、大人に交じって表彰台に上がった。 徐々にレベルの高い試合に出場するようになり、国内のアマチュア大会でタイトルは意のままになった。

世界を知って

WAV'Yのオーナー山本吉秀さんと

  「世界に行け」。WAV'Yのオーナー、山本吉秀さんは告げた。山本さんは「とにかくたくさん試合に出て経験しろ。数をこなさないとうまくならない」。 師匠の言葉通り、16歳で日本を飛び出し世界を転戦した。
 World Surf Leagueが組織する「チャンピオンシップツアー」。年間34人しか参加できない、世界最高峰のプロツアーだ。 参戦するには、各国で開催される予選リーグ「クオリファイングシリーズ」に出場し、ポイントを稼いで世界ランキングを上げる必要がある。 波のあるところならどこへでも飛んでいった。
 「街並みを見るのが好き。スペインやポルトガルも綺麗だったけど、マルティニークは映画みたいだった」。旅先で出合う景色に心を躍らせた。
 一方、海外転戦は多くの苦労も伴った。立ちはだかったのは言葉の壁だ。 マイナースポーツであるサーフィンの世界では、コーチもマネージャーもいない選手が多く、もちろん通訳もいない。 英語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、インドネシア語……。 さまざまな国で開催される試合に参加する度に、飛行機や宿の手配も、現地ではサーフボードを載せた車の運転も自分でしなければいけなかった。
 一番頭を悩ませたのは費用だった。「世界を回るには常にお金がかかって、試合に集中できなかった」。それでもプロサーファーとして活動する以上、 「親には頼りたくないし、バイトはしないというプライドがある」。スポンサーからの支援と試合での賞金で何とかやりくりした。 国内では敵なしの村上も、世界で勝つのはたやすいことではない。「もうプロサーファーやりたくない」。 海外の試合で負けると、そんな考えが頭をよぎった。「お金も時間もかけていく分、負けた時は余計に落ち込んで立ち直るのが大変だった」。 それでも、「サーフィンで飯が食いたい」。その一心で世界を回り続けた。

番狂わせ

©ISA/Sean Evans

 2019年9月、宮崎県で開催された世界選手権。五輪出場権を懸け、大会史上最多となる55カ国から240選手が出場した。 アマチュア大会にも関わらず、五輪出場資格を懸けて例年であれば出場しない強豪選手も数多く参加。"オリンピックより豪華"とささやかれた。
 注目の大会で、村上は大きな番狂わせを起こした。自分より世界ランクが上の五十嵐カノアや大原洋人を差し置いて、 勝てば決勝進出となる敗者復活の最終ラウンドに、日本代表としてただ一人進出。 チャンピオンシップツアーで11度ワールドタイトルを獲得したケリー・スレーター、世界ランク6位のイタロ・フェレイラと対戦した。
 2万人近い観客から「Shun Murakami!」の声援が響き、会場では両親も見守った。 試合前の記者会見で「ケリーをぶっ倒したい」と発言していた村上は、その言葉通りプレッシャーをはねのけてサーフィン界の帝王・ケリーを倒し、 イタロと決勝へ出場。4人中、村上以外は全て格上の選手だった。一時2位に躍り出るも、最終結果は4位※。 それでも、予選リーグを回る日本の一選手に過ぎなかった村上が、世界ランキング上位のスター選手を相手に全く臆することなく戦い、共に表彰台に上った。
 「こんなに応援が力になったことはなかった」。海では「Shun Murakami!」のコールが続いていた。
 決勝後のインタビューで、大会を見守ってくれていた両親について尋ねられると、思わず目を潤ませた。日の丸の旗で顔を覆い、涙をこらえるため、長い間口をつぐんだ。
「結果を出さないとだれも見てくれない中、信じて一緒にいてくれて。家族だから当たり前なのかもしれないけど、両親が一番サポートしてくれている」
 小さい頃からサーフィン漬けだった村上を、365日、雨の日も晴れの日も海で見守ってくれた家族へ、熱い気持ちが溢れた。 ※世界選手権では4位までメダル獲得

夢はぶれない

  サーフィンが五輪競技に採用され、「五輪出場・メダル獲得」という重圧がのしかかる中、 その先に描く“夢”はぶれない。
 試合で賞金を稼ぐ「コンペティションサーファー」。村上は「2020年でコンペ生活を引退する」と宣言している。 スポーツ選手の”現役引退”とは全く異なる意味だ。
 そこにはサーフィン独特の世界観がある。サーフィンで生計を立てている人を「プロサーファー」と呼ぶならば、試合に出ないプロもいる。 例えば世界中を旅してサーフィンをすることで生活する「フリーサーファー」だ。村上は言う。 「順位がつくのが好きじゃない。サーフィンの内容が分かっていない人も順位だけで判断してしまうから。 海はこんなに広くて、世界にはこんなにたくさんのサーファーがいる。4人だけで順位がついて良いのかと、心の底から思う」
 観客がいて、ジャッジがいて、自分のサーフィンが数値化されて勝敗が決まる。用意されたフィールドでサーフィンをするのではなく、 危険な波や、まだ誰も乗ったことのない波を探して旅をする。そんな生き方に人生をささげたいと思っている。
 「それで死んでもいいとも思う」
 サーフィンの世界ではこれが”本来の姿”と称されることも珍しくない。 「五輪は、応援してくれている人や両親のため、自分の夢やサーフィンの世界をもっとたくさんの人に知ってもらうために出たい。 好きなことで世界に認めてもらう、それが夢です」