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心に違う火がついた

バドミントン 桃田賢斗

 2019年シーズンの桃田賢斗(NTT東日本)は「無敵」だった。 国際大会で67勝6敗。優勝は史上最多の年間11回を記録した。 だが今年1月、遠征先で交通事故に巻き込まれ、顔などに全治約3カ月のけが。 金メダルへ、最後の試練を乗り越える。

完全優勝

©FABRICE COFFRINI / AFP

 「ディフェンディングチャンピオンとして負けたくない、絶対優勝する」
 19年8月の世界選手権。第1シードの桃田は2連覇を目指して臨んだ。 結果は6試合すべてストレート勝ち。 決勝は第5シードのアンデルス・アントンセン(デンマーク)を21―9、21―3で降し、圧倒的な力で世界一の座を守った。
 「前回の優勝に比べ、自分にとって重みが全然違う」
 記者会見では言葉が熱を帯びた。 18年大会は第6シードで出場し、日本勢として初めて男子シングルスを制した。
 「上位の選手が棄権して、くじ運がいいだけじゃないか」。 前回大会ではこんな見方がささやかれたのを、桃田はよく覚えている。 当時のもやもやした気分を吹き飛ばすような完全優勝を成し遂げた。

成長への手応え

 18年に初めて世界一となってからも、常に進化を模索してきた。 もともとは相手の決め球を粘り強くレシーブして好機を探る戦い方。 それを、スピード重視の攻撃的なスタイルに変えた。
 変化を促したのはライバルの存在だ。インドネシアのアンソニーシニスカ・ギンティン。 小柄ながら桁外れのスピードと切れ味鋭いスマッシュに手を焼いた。 18年のジャカルタ・アジア大会では2度対戦した。 「団体戦はほとんど負け試合を拾ったような感じ。個人戦は押し切られた」。 守備スタイルになってしまった、と気付かされた。

 日本代表の中西洋介コーチ(男子シングルス担当)は、 桃田を「陸上なら400メートル、1500メートルの(中距離)選手」になぞらえる。 スロースターターなところを改善し、ギンティンのように試合序盤からアクセル全開で向かってくる 「短距離選手」にも対抗できるようした。
 ネット際への速いノックをひたすら受けた。 左右に振られるシャトルに対し、しっかりと足を入れ、ロビングやヘアピンなどさまざまなショットを打ち返す。 打ち出しの高さも変えた。息もつけないようなトレーニングで自分を追い込み、ネット前に入るスピードを磨いた。
 同じ世界一でも、19年と18年の試合内容は別物だった。
 「自分から勝負に行って、より速く、より前にいくプレーができていた」。自身の成長への手応えを口にした。

縮こまった日々

©新華社/共同通信イメージズ

 4年前、リオデジャネイロ五輪のコートには立てなかった。メダル候補に挙げられていながら、 16年4月に発覚した違法賭博問題で大舞台を棒に振ったのだ。自らの弱さで、無期限の出場停止処分。 最初の約1カ月は香川県の実家に帰った。家の周りには見慣れない車。「怖くて(外に)出る気にもならなかった」という。
 1年余りの出場停止を経て、17年5月に実戦に復帰した。コートの中でも外でも、人の目が気になった。
 「練習は普通に楽しみながらできていたと思う。 いざ外で試合する時に、どこか周りを気にして縮こまり、相手と勝負していないというか……」。 ゲーム中も周囲の視線が気になり、集中できない。「どうしたら怒られないかな」とつい考えてしまう。 シャトルを交換する時は、審判への渡し方まで気を遣った。
 休日にチームメートと飲食店に行っても「あいつ普通に飲んでるじゃん」と誰かに思われないか、不安だった。 落ち着かない日々が続いた。
 プレーに集中できるようになったのは、18年に日本代表復帰してから。 プロフェッショナルな雰囲気の中で、トップレベルの選手らと練習をともにした。 「いつの間にか勝負に貪欲になっていった」
 試合ができなかった期間も、トレーニングは続けていた。時間を見つけて苦手だったランニングに取り組んだ。 徹底的に走り込んでつけたスタミナが、実戦復帰後のプレーの土台となった。

有言実行へ

©MOHD RASFAN / AFP

 世界ランキング1位を独走し、東京五輪金メダル大本命として迎えた20年。 1月13日に不運が襲った。遠征したマレーシアのクアラルンプー近郊で、桃田を乗せたワゴン車が大型トラックに追突。 顔面の裂傷や全身打撲を負った。後に右目の眼窩底骨折も判明した。
 だが、このアクシデントが桃田の心にこれまでとは違う火をつけた。 2月下旬に練習を再開したばかりで、実戦に復帰する時期もまだ決まっていない。 そんな桃田を奮い立たせたのは、復活を願う数々の応援メッセージだった。
 3月6日、感謝の言葉を伝えようと、自らの意志で開いた記者会見の場でこう語った。
 「今まで、東京五輪は(一戦一戦の)延長線上にある大会だなと思っていたが、いろいろな方に激励の言葉をもらった。 東京五輪で金メダルを狙っていきたい」
 バドミントンができる体に戻れるのか、不安もあった。諦めそうになったこともあった。 これまでは「目の前の大会を一つずつ戦う」としか話さなかった桃田が口にした、力強い宣言。真夏のセンターコートで有言実行する。

©FABRICE COFFRINI / AFP