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Risako Kawai

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乗り越えた壁の先

レスリング 川井梨紗子

 川井梨紗子にとって東京五輪への道とは、伊調馨を乗り越えることにほかならなかった。
 2019年9月、カザフスタンで開かれたレスリング世界選手権。女子57キロ級の頂点に立ち、五輪切符を手にした。
 「うれしさや安心感、いろいろ混ざって言葉にするのが難しい」。優勝直後のインタビューでは涙をこらえきれなかった。 「ちょっと泣きすぎですよね」と声を詰まらせながら、また泣いた。

砕け散った心

 リオデジャネイロ五輪の63キロ級で金メダルに輝いた川井だが、その後の道のりは険しかった。
 リオ五輪では58キロ級で代表を目指した。しかし、このクラスに君臨する伊調にはどうしても歯が立たない。
 周囲の勧めもあり、1階級上の63キロ級に移った。「逃げたと思われる」。 悔し涙があふれた。リオでの金メダルにも、満足できなかった。
 伊調の道のりも平たんではなかった。指導者によるパワハラ問題に苦しめられた。 表舞台から2年間遠ざかっていた伊調が復帰したのは18年秋。 五輪代表の座をめぐる川井と伊調の戦いは、同12月の全日本選手権から始まった。
 決勝では伊調の気迫が光った。終了間際の逆転勝利。ブランクを感じさせない鮮やかな復活劇に、観客は沸いた。
 「終わった。全部投げだそう。もうやめよう」。会場の片隅で、うなだれる川井は心が砕かれたように感じた。 試合に負けた悔しさすら感じられなかった。

家族の支え

 川井の両親はレスリング選手だった。3歳下の妹、友香子も63キロ級の選手だ。 川井をどん底から救ったのは家族だった。
 「逃げ出したいのは分かる。親として見ているのはつらい。だけど頑張ってほしい」。 自分も世界選手権に出場した経験がある母の初江は今年1月、川井にこう語りかけた。 幼い頃からレスリングの手ほどきをしてきた。くじけてほしくなかった。
 「この頃が今までで一番きつかった」。川井はこう振り返る。 友香子とは言葉を交わすよりも、黙々と汗を流し続けた。 母や妹の気持ちが、凍てついた気持ちを次第に解きほぐした。
 「私だけがつらいんじゃないんだ」。そう思うようになると、少しずつ集中力が戻ってきた。 持ち味の鋭いタックルと連続攻撃をひたすら磨き直した。
 「もし五輪代表を争う立場でなければ、私だって(伊調)馨さんの五輪5連覇を見たい。だけど、それでも勝ちたい」

 いつの間にか、冷静に自分を見つめることができるようになっていた。
 19年6月の全日本選抜選手権で、再び伊調と対戦した。負ければ五輪への道はほぼ絶たれる。
 「半年前の後悔だけはしたくない。どれだけ苦しくてもこの6分間だけは攻め続ける」。
 前半から迷わず攻撃を仕掛けた。後半には鋭いタックルから伊調の背後に回り、相手の体を回して得点を重ね、勝利を手にした。
 7月には、世界選手権の代表を決めるプレーオフで伊調と対戦。ここでメダルを取れば、五輪代表に手が届く。
 1ポイントリードして迎えた残り10秒。伊調の猛攻が襲った。3秒で足を取られたが、怖れは感じなかった。
高い壁を越えた川井は、9月の世界選手権でチャンピオンの座と五輪切符を手にした。
 優勝した翌日、友香子がマットに立った。観客席から「(攻撃する)勇気だよ」「最後まで」と大声で応援し続けた。 友香子は銅メダルを獲得し、姉妹での五輪出場が決まった。「頑張ったね」。姉は妹を抱きしめた。

エース、主将として

©LAURENT KALFALA / AFP

 19年11月、国別対抗戦のワールドカップ(W杯)直前に、 「東京五輪まで主将を頼む」とコーチから伝えられた。
 「自分はもう代表チームを引っ張らないといけない立場なんだ」。 名実ともにエースに成長し、大役が加わった。
 「私にとって理想とする主将像は沙保里さん。到底及びそうにないけど、やらなきゃと思っている」
 川井がリオ五輪で金メダルを手にした同じ日、五輪4連覇を目指していた吉田沙保里は決勝で敗れた。 失意の中にあるはずの吉田から「梨紗子、もっと喜んでいいんだよ」と声を掛けられた。
 「自分が一番悔しいのに、そんな風に言ってくれるなんて」。偉大な先輩の心遣いに胸が熱くなった。
 吉田と伊調。憧れであり、目標だった先輩への思いを抱きながら、女子レスリングの先頭に立つ。 チームのため、家族のため、そして自分のために、頂点に駆け上がりたい。
 「練習しかない。今までもやってきているけれど、それを継続すること」。 海外のライバルとの戦いを乗り越え、再び表彰台に立つ時、川井梨紗子はどんな景色を見るのだろうか。